こんにちは、27歳の安田ケリー(@kry_ysd)です。
明日2021年5月31日で28歳になります。今年も誕生日を迎える前日に無性にブログが書きたくなりました。
27歳はどのようなことを学んでどんなことを考えて過ごしたのか、未来の自分のために記録しておきます。
27歳はどう過ごしたか
去年同様、まずは27歳の一年間であった出来事を振り返ってみます。
2020年5月31日、27歳の誕生日は、新型コロナウイルスの影響で当時住んでいた神奈川県から地元高知への帰省を断念。
誕生日前日、寂しい思いをしていた私を、同じく神奈川県に住む10年来の大親友が自宅に招いてくれました。
日付が変わる直前、いつものようにそれぞれの人生や価値観、恋愛について語り倒していると、彼女のスマホから突然のアラーム。不思議に思っていると、日付が変わったと同時に顔面ケーキのサプライズを受けました。突然のことにびっくりして、動画や写真を撮ったりして二人で大笑い。
将来のことで悩んでいた時期だったけど、彼女のおかげで明るく楽しい誕生日を過ごすことができました。ありがとうね。
その後、26歳最後の日の記事にも書いたように、夢の実現のために行動を起こしていきます。
まずは肌に合わない関東生活を辞めること、そして将来独立するために一度就職して修行を積むことを決意。
そうと決まれば善は急げということで、大阪市の編集室の求人を見つけて書類を提出し、早速面接を受けに行きました。
…が、ある意味これがきっかけで人生に対する考え方が変化し始めます。
先に結論を言うと、この編集室への就職は辞退。映像業界での働き方への疑問と、未来の上司になるであろう人の考え方や人間性が合わないと判断したのが理由です。
そして7月、世の中が少しだけ落ち着いたタイミングで念願の高知帰省。ひとりでしばらく隔離生活をしたのちに、大事な仲間たちと再会を果たします。
丸1ヶ月間を大好きな高知で過ごした結果、ついに高知へのUターンを決意。
やっぱり高知が大好きだということと、どこに住んでいても他の場所に行きたくなる性質のことを考えると、一番安心できる場所・高知を拠点にして世界中を飛び回った方が、精神的に楽な上に金銭的にも効率が良いことに気がつきました。
早速、高知でできる仕事を調べていると、マーケティング職の募集をいくつか発見。
このときちょうど興味が湧いていた分野だったので、「仕事を無理に映像関係だけに絞らなくてもいいのかも」と思い始めます。
とある2つの会社に書類を送ってみましたが、残念ながらどちらも採用にはなりませんでした。
思い通りに進まず悶々としていましたが、9月に携わった結婚式のプロフィールムービーの制作のお仕事で、自分の作品で人を喜ばせることができる動画制作の楽しさを改めて実感します。
YouTubeもそうですが、作品を見た人に「よかった!」「おもしろかった!」と言ってもらえるのはとても誇らしいものです。もし将来映像関係以外の仕事をするようになったとしても、この楽しさは絶対に忘れないでおこうと誓いました。
その後、家の退去日や引っ越す日を正式に決定すると、ホッとしたような、でもちょっと寂しいような複雑な気持ちになったのを覚えています。
残りの関東生活を楽しめるご時世でもなく、あれよあれよという間に退去日に。
荷物が空になった部屋で管理業者を待っていると、「この2年間、嫌なこともいっぱいあったけどなんだかんだ楽しかったなあ」と浸ってしまいました。でもそれと同時に、「だからと言ってずっといる場所ではなかったな」とも。
そんなこんなで12月、ついに高知へUターン!
ゆかいな仲間たちがおかえり会を開いてくれて、地元の暖かさを改めて実感。またこうして友人たちと過ごせることが嬉しくて高知の街へ頻繁に繰り出していたら、懐かしい再会と新しい出会いがたくさんありました。
中でも嬉しいのは、仲間たちの新しいYouTube動画をアップしていくたびに、「Kerry’sの方ですよね?」「動画見てます!」と声を掛けられる機会が増えたこと!つい先日は、なんと滋賀県の男の子たちが動画を見てくれていることを知り、高知以外にも視聴者さんがいることに跳んで喜びました。
とはいえ、動画制作の収入は相変わらず微々たるもので、現在の主な収入源は以前お世話になっていた某飲食店での接客業務です。
と、4月からはそれに加え、なんと以前勤めていたボスの元でお手伝いさせて頂いています!退職して数年経つのに、「ぜひ戻ってきてほしい」と言ってくださったことがとても嬉しかったです。
過去に築き上げた信用が未来で活きるってこういうことなんだなと思いました。
何より大好きなボスとまた一緒に働けて嬉しい!
そんなこんなで現在は、昼間は個人のYouTube動画の編集、受注した動画制作、ブログ記事執筆、以前勤めていた会社での販売業務、夜は飲食店で接客業務に当たっています。
将来また海外に行きたいという願望もあるので、オンライン英会話も毎日欠かさず受講。
放浪癖も相変わらずなので、たまに高知から日本各地へ赴く生活です。
27歳で気がついたこと
高知に住みながら複数の仕事をする生活を送っていると、過去の自分はいろんなものに囚われ過ぎていたということに気がつきました。
慣れない関東生活で本来悩まなくていいことで悩んだり、仕事にこだわりすぎて自分で自分にプレッシャーを与えたり、とにかく窮屈な生活をしていたなと。
まず、高知に戻ってきたことで精神面でかなり安定しました。
過去の日記を遡ってみると、毎日のように「このまま関東生活を続けるメリットはあるのか?しかし帰るとしてもその前に何かを残さないといけないのでは?」と悶々としています。
これがかなり負担だったみたいで、高知でまた暮らし始めてからはしんどいなと思う瞬間が8割ぐらい減りました。日記を見て「え、こんなことで?」と、悩んでいたことすら忘れていたレベル。
帰ってきて後悔はしていないし、関東でまた暮らしたいとも思いません。
この悩みが自然と消えたのは、やはり高知の仲間たちのおかげです。会いたいと思えばすぐに会いに行ける近さが、安心に繋がっています。
やはり私にとって友達が一番の宝物だし、彼らは私の生活には絶対に欠かせない存在なのです。
これと同時に、仕事が人生の全てじゃないと思えるようにもなりました。
これまでは「一生やっていける仕事を早く見つけて極めていかなくては」と焦っていましたが、仕事を極めることが人生のゴールではないし、人生にそもそもゴールなんてないんですよね。
精神的に余裕ができたことで、「“仕事と趣味をバランス良く、生活を楽しむこと”が人生の目的なのではないか」と思えるようになったんです。自分を追い込んで修行なんてしなくても、高収入を目指さなくても、毎月普通の生活と好きなことができる額のお金さえ稼げたら十分じゃないか、と。
根詰めて仕事をするより、貯金を増やすより、そこそこ働いてそこそこ遊んで、楽しく暮らそう。ネガティブな意味ではないですが、「人間いつ死ぬかわからないんだし」とある意味諦めたこともあり、なんだか肩の力が抜けました。
ただ、“好きなことや得意なことでお金を稼ぎたい”という願望は今でもしっかり健在です(そこそこに奮闘中)。
また、一本に絞らなくても複数の仕事で生活できていることに気がつきました。
というか、本を読んで知ったんですが、私はそもそもマルチポテンシャライトという性質の持ち主だったんです。
マルチポテンシャライトとは、“様々な物事に興味を持ち、多くのことを探求する人”のことです。一つのことに固執しない…というか興味が次々と移り変わるので、そもそも一つだけを極めることができません。好奇心が強い上に学習速度が速いのも相まって、やり始めるとすぐにできるようになります。ある程度できるようになったら今度は別のものに好奇心が湧き、実際にやってみるとすぐにできるようになる、そしてまた新しいものへ…の繰り返しです。
一つを極めることが美とされているこの社会でずっと生きてきたので、自分がこのマルチポテンシャライトだと気がついたときは若干絶望しましたが、逆に「いろんなことがある程度できる」のならば収入源を複数持ってはどうかと考えました。一つのことを極めることが“できない”ことより、いろんなことが“できる”ことに着目したってわけ。弱みは強みに変えることができるんです。
例えば、昨今の新型コロナウイルスの影響により全世界の人々が外出自粛を余儀なくされ、飲食業界は今現在も大打撃を受けています。飲食店で働く私も例に漏れず、シフトが削られ収入が減りました。収入源が一つだけだと、このような誰にも予想不可能な緊急事態により生活が突然困難になってしまうというのもあり得なくはありません。
このことから、収入源はいろんな分野でいくつもあった方がいいことに気がつきました。しかも私にはマルチポテンシャライトの資質がある上、これまでに携わってきたものもすでにいくつかあります。それに関してはある程度のことができるので、やり方次第ですぐに仕事に繋げることもできる。なので今後は、その資質に沿って「一つのことを極めたい」というこだわりを捨て、複数の仕事をしていこうという考えになりました。
28歳、ゆるく楽しむ
このように、これまでの「当たり前」を思い切って変えてみると、不要な悩みが消えて余裕ができ、新たな考えを持つことができました。
一周回ってという感じがしますが、そうやって回った間にしっかり成長できたはず。数年ぶりに帰ってきた高知のあらゆるものが小さく感じるのも、海外生活と関東生活を経た結果だと思います。
自分にとって大事なものが改めてわかったこと、苦手なことは無理にやらなくていいし、人生もっとゆるく生きていいと気付けたことが27歳の収穫です。
仕事はあくまで、生活を豊かにするもの。そしてその仕事も、私のやり方でいい。そう思うことで、知らず知らずのうちに囚われていたものからようやく解放され、とても身軽になりました。
新しい28歳は、「好きなことでお金を稼げるようになる」という目標を持ち続けながらも、自分を追い込みすぎず、豊かな生活をゆるく送っていきたいです。
あと、これは先日の沖縄旅行で感じたんですが、他人に笑顔を向けると自分にも笑顔が返ってくるなと。
自らの発信で、人生はどうとでもなる。だから明るく楽しく生きていこうと思いました。
27歳の私のことも支えてくれた家族、友達、先輩方。今年もありがとうございました。
歳を取っても自分が成長してるかどうかなんてわからないけれど、みんなのおかげで毎年しっかり楽しいです。私は本当に周りの人に恵まれてると思う。まだまだこれからもよろしくお願いします。
27歳の自分へ。たくさん悩んでくれてありがとう、お疲れ様。あとは28歳の自分に任せて。
28歳の自分へ。またうっかりつらくなったらこの記事を読んで。人生わりとなるようになるよ、ゆるく楽しむことを忘れないで!
それにしても毎年きっちり歳を取るなあ。まあそれも楽しみながら、来年もこの誕生日前日記事を書こうと思います。
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